Diary in Australia

よしなしごと

すでにブログ更新がだるい

ブログ開設してから3日経過して、すでにブログ更新がだるくなってきています。
自分で日本語使いたい!って始めておいてこの体たらく。びっくり。
いやまあ、べつにびっくりはしないですけどね。アラフォーなんで、これまでの人生で同じような経験をしたことなんで星の数ほどありますわ。

 

特に日記を書こうとして1週間以内に筆を折ったことは優に20回は超えておる。今思うと不思議なのは、それぞれの当時、なぜ私は日記を書こうと思ったのか。
日記に何を残したかったのか、何があってそうだ日記書こう!と思ったのか、そのときどきで違ったのだろうけど、まったく思い出せません。
なんだろう。今の状況と同じで何か言葉でアウトプットしたい、という欲求だったんでしょうかね。若者らしくやっぱりポイズン的な何かだったのかしら。
そして思ったほどポイズンが出てこなくてすぐにネタが尽きてたのか。

 

もうちょっと踏ん張って思い出してみると、日記はすぐに書くのをやめたけどある意味日記ぽい内容の文通は数年間続いてましたね。そっちで満足しちゃってたのかな。
まあ当時の文通っていうと、同人活動の一環として当然の嗜みという風情でしたけど。もはや最後のほうは文通相手とFAXでイラストとメッセージを延々と交換し合うという、何かを振り絞って必死にコミュニケーションしてた青春時代。
あれはもう心底楽しかったという思い出しかない。
高校までハマった同人活動もすっかり大学に入ってから縁遠くなってしまって、数年前にめちゃくちゃ久しぶりにコミケに行ったときには懐かしさと違和感が絶妙に混じり合った記憶があります。
まあ一緒に行ったのが当時付き合っていた現在の夫だったということで、しかもたまたま行こうと思った日が3日目だったりして、双方に「なんかすまん」という気持ちが芽生えましたわ。

 

2年前くらいに過去の文通相手からの大量の手紙を実家で整理したときに、ついでに自分の当時の発行物をまとめて処分するかちょっと迷ったのです。
んで、結局まだ捨てられんかったね。
今から見るとちょっと笑っちゃうくらいに画力低い、構図おかしい、とかそもそも絵よりも文がイタいという薄い本やらペーパーを集めて、将来的に子供に見られたらつらすぎるとリスクは浮かんできたものの、なーんかまだふんぎりがつかず。
人から見たらどうかというのは関係なく、やっぱり楽しかった思い出はキラキラと輝いて見えるもので、それを捨てるというのは自分の中の何かを捨ててしまうような気持ちになるんだなあとそのときは思ったな。(まあでも子供が大きくなる前に封印方法は考えよう)

 

直近を振り返ると、あの頃没頭した世界ほどに今何か熱中できるものはあるかというと特になく、どちらかというと義務と責任を主軸にした生活でなんか疲れ気味って感じで隙間時間になろうを読んで心を癒す(もはや癒してるのかただ時間潰してるのかわからん)という日々。
おかしいな。巷のブログで書かれてる海外生活ぽい華やかさがない。
まあ華やかな人はどこでどんな暮らしをしてても華があるし、そうでない場合はどこでどんな暮らしをしてもそれなりですわな。

 

さて、まあだるくてもとりあえずまだこうしてだらだらしたどうでもいい話でもとにかく何か書けるものがあれば書いていこうと思います。
仕事じゃないんだから好きにやればいいんだと自分に言い聞かせつつ。